【イマココ日記】10月12日〜15日


◆10月15日(日)。
今日も雨。
夕方、オトーサンと食材の買い出しで大型スーパーへ。
家族連れで大混雑。
どこかの親子の
「ママー! どこー?」
「ここだよー」
「ここってどこー?」(そりゃそうだ)
というやり取りのあと、ママを探してやってきた男の子が森永のミルクキャラメル(昔懐かしい黄色いパッケージのやつ)を手に持っていて、ただそれだけの話なんだけど、かわいらしかった。何でもない毎日がいいなと思う。

見逃していた「ひよっこ」の最後2話をNHKオンデマンドで見る。撮っておいた「LIFE」も見る。
晩ごはんは焼きそば。大量のキャベツで満腹になった(げふ)。←イマココ


◆10月14日(土)。
引き続き雨。家事Bセットやり、少し残っていた仕事を済ませ、絵を描いた。
晩ごはんには、この秋2回目のおでんを作る。
ホットカーペットとストーブを出して、無敵な気分。←イマココ


◆10月13日(金)。
雨。
雨なんだが、それでも小学校では稲刈りの課外授業がある。うへえ。先生も生徒も大変だ。

家族を送り出し、午前中に家事Bセット済ませ、仕事をしてしまい、心安らかになったところで、本気で絵を描き始めたが、どうにも失敗。あんまり力が入りすぎると、失敗してしまうみたいだった。そのうちに、ドロだらけで次男帰宅。

夜、仕事先の送別会があったので、子どもたちの夕食を用意して都内まで行く。
雨が降っていたので、最寄り駅までバスを使うことにした。バス停まで歩いていくとちゅうで、子どもたちが刈り取ったばかりの田圃の横を通ったのだが、ドロ沼状態だった。(次男が)あの程度で済んだのはラッキーだったらしい。

送別会のほうは、なぜか主役登場せず……。2時間半ほど待ってみたが来ないので、隣駅のオトーサンと待ち合わせて帰ることにした。夜、二人だけで出かけることなどめったにないので、駅をバックにアラフィフ夫婦で自撮り。日が変わる前に帰宅。←イマココ



◆10月12日(木)。
最近、オトーサンと長男は朝早く起きて、近所を少し走ったりしているらしい。「一緒に行かないか」と誘われたけれど、当然断った。だって、朝は忙しいもの。
今朝は、トーストを食べる人、おにぎりを食べる人、マグロ丼を食べる人がいて、お弁当も2種類(茶色弁当の人と、麺弁当の人)あって、まあ、ここまで違うことは稀なのだけど、やっぱり朝は忙しいのだ。

子どもたちを送り出し、オトーサンを最寄り駅まで車で送っていき、家事Aセット済ませ、ピアノ1時間弾く。
そうこうするうちに4時間授業の次男が帰ってきて、しかも、友達と遊ぶ約束をしたとかで、小学生男子がワラワラやってきてしまい、仕方がないのでMacBookを持って2階に逃げる。

精神科医の名越康文さんの本が面白く読了。一気に読んでしまい、何だか浸透していない感じもするので、しばらくしたら再読しようと思う。仕事も少しした。

晩ごはんは肉じゃが。
新調した圧力鍋の使い方がいまひとつわからない。圧力を抜くつもりが、中身まで噴射してきてたいへん焦った。ヤカンも、コンロの五徳も、白いタイル壁も、そこらじゅうが醤油味の煮汁だらけになる。オトーサンの大事なお灸セット(お灸と、専用ライターと、カス入れのビン)も煮汁をかぶってしまう。控え目に言って、かなり悲惨な状態になった。←イマココ

恩師


今年は、長男が大学受験の年なので、はたして自分の学生時代はどうであったのか、考えることがありました。

私の学歴。
公立小学校を卒業したのち、都内のミッション系中学へ。
そののち転校して、今度は京都の仏教系高校へ。
さらに、またしてもミッション系大学へ。

よくいえば多様、悪く言えば節操ない感じの学歴となっております(恥)。

いずれも私立だったので、相当お金がかかったのであろうなあ。ごめんなさい、お父さん。
それなのに、小学校を除いて、どの学校にも何も思い入れがないという……。
要するに、学校という場所とはあまり相性がよくないようでした。
先生からもかわいがられた記憶が一切なく、
そんなわけなので、師と呼べる人もいません。
大学にいたっては、ゼミの先生の名前も思い出せない(ひどい)。

世の中のえらい人たちの自伝なんかを読むと、たいてい恩師とのエピソードがあるものなので、残念至極です……。

余談ですが、友人も「アルバイトで一緒だった人」とかばかり。小学校を除き、学生時代の友人はほとんどおりません(またしても恥)。
なんででしょう。あたりさわりない付き合いばかりで、卒業してからわざわざ会うことはありませんでした。
こういうのって、やっぱり少数派ですかね? ほとんどの人が、学校ではいい先生に出会い、一生モノの友達に出会っているのかしら(ホントに?)

こんな学校生活だったので、もし今15歳だったなら、「中卒→大検→大学は通信」という選択をするのではないかと思います(ただ、それを自分の子どもたちに勧めることはありません。私は得られなかったけれど、通うことで出会う人や機会もたくさんあると思うので)。

でも、人が恩師の話なんかをしているのを耳にすると、私もそういう存在が欲しかったなと思います。
教え導いてくれる存在がいたら、今よりもマシな人間になっていたんではないかしらんと。
それとも、もしかして、これからその恩師に出会うのかもしれません。
もうすっかり中年のおばちゃんになってしまいましたが、そうならいいなと思います。

ビーグルとベーグル



夫「何のビーグル食べてるの?」
私「プレーン」(もぐもぐ)
ビーグルじゃなくて、ベーグルやろがー!
プレーンじゃなくて、プルーンやろがー!(実話)

というツッコミは横において、多少間違っていても会話はちゃんと成立するもので。
大筋が伝われば、言葉の間違いなんか多目にみていいんじゃないのかなあと思います。そうじゃないと、窮屈で話せなくなってしまう。

もうね、ここのところ、日本のあちこちで、小さな間違いに対して鬼の首とったように騒ぎ過ぎだと思うのです。
大事なのはそこじゃないだろ、と。
それとも、みんなよってたかって弱い者いじめしたくなるほどストレス溜まっているのかしら。



ビーグルとベーグル